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もしも、あのとき別の人生を選んでいたら | 25歳で結婚の道を選んでいなかったら、進んでいた未来について

人生に「タラレバ」はないのだと言い聞かせて、31歳を迎えた。
選択は常に可能性を「選ぶ」というより「捨てる」感覚で行われて、気付けば家庭を持ち、子を持ち、会社から独立し、モノを書いて今に至る。

いつだって後悔のないように生きてきたつもりだし、選択した道を正解にするために努力してきたつもりだ。その結果が今であることにそれなりの誇りを持っているし、満足もしている。

とはいえ、どれだけ全力で生きてみても、きっと人はいくつかの後悔を残す。ふと気を緩め、辺りを見回した瞬間、隣の芝が青く見えてしまうように、「もしもあのとき、別の道を歩んでいたら?」と、過去の亡霊を追ってしまうことも珍しくない。

まだまだ不惑の年齢には至らない、30代に入ったばかりだけれど、僕もそんな「過去への執着」をいくつか持っている。ただ、今思うとそれは、ここ数年でやっと「後悔」から「モチベーション」に変えられたものが多くて、「ああ、大人ってそういうことか」と妙に納得している。

今回は、そんな「過去への執着」をひとつ紹介したい。僕が25歳のときに降りかかった、「運命のイタズラ」とも思える人生の分岐エピソードだ。
他人のこうした話は得てしてつまらないことが多いし、大して興味も沸かないかもしれない。でも、耳を傾けてみてほしい。夢を諦めるとは、どういうことか。そしてそこからどのように立ち直るのか。今、挫折した多くの人にとって、何かの助けになればと思う。

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25歳の2月に、結婚をした。結婚の決め手は何だったかといった話はさておき、僕はプライベートの時間を嫌というほど満喫するようになった。
しかし、人生の大半が仕事の時間と言われるなかで、肝心の仕事はまったく退屈で、思い通りにいかなくて、ヘマばかりしては自信喪失を繰り返す日々だった。

頭に浮かぶのは「辞めたい」という4文字ばかりで、次に浮かぶのも「逃げたい」という4文字だったから、もう前を向く気力は残されていなかったのだろう。僕はどうにか現実から逃避する方法を探して、SNSの濁流にへばりついては、チャンスのロープが流れてこないかと目を皿のようにして見つめ、粛々と暮らしていた。

きっかけは、Twitterだった。タイムラインに流れてきた、体感型脱出ゲームの司会者オーディションの募集告知。
以前から人前で話すことは、嫌いじゃなかった。それに、ゲームの参加者として何度も足を運んでいたので、大体の流れはわかっていた。

周りに黙って選考を受けてしまえば、仮に落ちても誰も知る由もないし、ゼロに戻ってもマイナスに落ちることはない。会社員をやりながらステージに立てるかどうかは受かってから決めればいいし、このオーディションは、リスク・ゼロで挑める最高のチャンスだ。素直にそう思えた。

案内のとおりにエントリーを済ませると、オーディションで使用するための「過去の解説台本」が送られてきた。15分ほどの文量のテキストファイルだった。長い。オーディションは2日後だが、暗記するには時間がなさすぎる。それでも、挑むしかなかった。この選考に落ちれば、また元の退屈な生活が口を開けて待っている。「マイナスにはならない」とわかっている。でも、「ゼロに戻るだけ」なのも、それだけで十分イヤだった。

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当日は、20名弱の応募者がいて、中にはプロの司会業の方の姿もあった。受かりっこないオーディションだった。審査方法はシンプルで、全員が見ている前でステージに立ち、台本通りセリフを言う。全員が、全員の演技を見る。

すべての演技を終えた段階で、客観的に見て、自分が半分よりは上位にいるとは思った。ただ、トップでないことも明確だった。つまり、落ちたと思った。
でも、受かったのは、僕と、もう一人の男性だけだった。どんな理由だったかはわからない。ただ、確かだったのは、選考を突破し、司会者として「もうひとつの顔」を持つことができたのは、間違いなく僕ら二人だけだったということだ。

果たして人気ゲームの司会という大役をこなせるのか、会社との両立はできるのか。疑問だらけだったが、受かったからには飛び込むしかなかった。「これから、忙しくなるぞ」、自分に言い聞かせて、月曜~金曜のサラリーマンと、土日祝日の司会業を、全力で回す日々が始まった。

あのときほど充実していた人生を、僕は知らない。

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本業のサラリーマンでしんどいことがあろうとも、僕にはスーパーマンのように、司会者というもうひとつの正体があった。それは仕事における精神的な負担をかなり軽くして、本業で起きる大抵の出来事は、自分にとってどうでもいいことのように思えた。

土日になれば、一回あたり1時間半の公演を、朝早くから夜遅くまで6回公演した。解説が終われば熱狂的な拍手に包まれ、帰り際に握手を求めてくる人までいた。
それは、これまで燻った人生を過ごしてきた僕にとって、まぎれもなく「全盛期」と思える最高の経験だった。「一生、この熱狂が続けばいい」、ちょうど夏の時期だった。僕の感情も、ただひたすらに熱く、むさ苦しくなっていった。

現実に引き戻されたのは、週7日労働という多忙な日々にも慣れてきて、1カ月ちょっと過ぎたころだった。

家に帰ったら、妻の姿がなかった。

そこで、ようやく気が付いた。ここ数日の彼女の浮かない表情も、どこかトゲのあった反応も、いつになく不機嫌だった日も、すべてすべて、僕が持ちうるあらゆるリソースを、妻ではなく司会業に注いでいたのが原因だったということに。

冒頭に書いたように、僕らは新婚だった。

新婚の夫婦において、妻が家を出て行った場合、夫がやるべきことはただひとつで、追いかけて、自分の過ちを認め、これからどのように改善するかを伝えることだけだと思った。

答えは、決まっていた。

僕は体感型脱出ゲームの司会者を降りることになった。
大いなる熱狂から、自ら遠ざかることにした。それも、かなり強引に、突然に、すべてを辞めた。その結果、イベント運用会社には多大な迷惑をかけることになって、二度とオファーが来ることもなくなった。

人生最大の全盛期は、その日を境に、自己最大規模の美しい黒歴史に変わったのだった。

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「もし、あのとき、結婚していなければ」
僕はきっと、エンターテインメントという引力に吸い込まれ、司会者という自分に与えられた特別な役割にどんどんのめり込み、きっとサラリーマンを辞めていただろう。

そしたら、その先には、何があったのだろうか。

僕が司会を務めていた体感型脱出ゲームを運営しているイベント運用会社は、今も業界のトップを走り続けている。
僕は僕で、あのときの司会のようにはうまくいかなくとも、多くの人にさまざまな感情が芽生えるようにと、ライターとして記事を書く仕事に転職をした。

この現実は、あのとき描けそうだった未来とは、まったく別のものだ。
でも、人生に「タラレバ」はない。あのとき僕が捨てた選択肢にも、きっと別の困難と成功が待ち構えていたのだろう。でも、今を生きるこの僕の前にそれは訪れないのだ。

だから、今日も、誰かのために文章を書いているこの現実を信じたいし、肯定したい。
あのときの自分を超えるように生きることが、今の僕のモチベーションであるし、あのときの自分が今の僕を見て悔しがるように、胸を張って歩いていたい。

同時に、何かに挫折した人が、改めて現実の世界を歩き出そうとしているならば、是非その人生を強く賞讃し、肯定してほしい。そう思っている今日このごろだ。

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